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本間さんは違反ではないですが

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月29日(金)16時15分6秒
  国家公務員宿舎は23万5000戸

月家賃は品川区3DK15.674円・世田谷区3DK18.116円
川越市4K3.667円・・・これは安いです。
 
 

税調の本間さんと同様なこと

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月28日(木)17時35分41秒
  官舎2512戸に違反居住、職員転勤後も家族が使用


 国家公務員を対象にした全国の公務員宿舎のうち、
今年3月現在、2512戸で公務員本人の転勤後も家族が住み続ける
などしていることが、財務省の調査でわかった。

 職員が転勤した場合などに宿舎の明け渡しを規定した国家公務員宿舎法に違反するが、
同省は運用で、通常使用料の3倍~1・1倍の「損害賠償金」を“家賃”代わりに支払うことで居住を認めている。
大半は1・1倍で、賠償金でも民間住宅家賃より大幅に安く、都心で4年5か月住んでいるケースもあった。

 同省は「確かに違反だが、事情がある時に限って認めている」としている。


 国家公務員宿舎法では、職員が転勤や退職した場合、20日以内に明け渡すよう規定。違反すれば、通常使用料の3倍以下を損害賠償金として払うよう定めている。

12月28日読売新聞
 

ヘンデルツア-がいいかも

 投稿者:グリークラブサイト管理者です  投稿日:2006年12月25日(月)14時01分1秒
  防府グリークラブの皆様へ

海外でのジョイントコンサートのプランをご案内させていただきます。

1)ポーランド王国の時代に首都として栄えた、
世界遺産にもなっているクラクフ市で7月に開催されるクラクフ・カンタート主催者から
来年の日・ポーランド国交回復50周年を記念し、日本の合唱団にぜひ参加していただきたいとの声がとどいております。

詳しくはこちらをご覧ください。http://www.jointconcert.com/gasshoudan-cracow.html



2)世界最大の開港祭として世界的に有名なハンブルク開港祭が来年5月に開催されますが、
来年は日本がパートナー国となり開港祭の中で日本がクローズアップされます。
日本からの参加団体のために特設ステージも設置されることになり、
ハンブルク観光局ではここで日本の合唱曲を中心にしたプログラムでコンサートをしていただける合唱団を探しております。
ハンブルク港は横浜港と姉妹提携しております。ご興味ございましたらご連絡ください。

ハンブルク開港祭のウエッブサイトはこちらです。http://www.hafengeburtstag.de/Content_en/start_e.htm

3)ヘンデルの誕生日を世界の人々と祝う
「ヘンデル・メサイア世界合唱祭2007」
は毎年2月ヘンデルの故郷ドイツ・ハレで世界各国から500名の参加を得て開催されます。

日本からの参加枠にまだ空きがあります。参加を希望される方はまだ間に合いますので、ご連絡ください。

お一人からの参加申し込みが可能です。

これまで過去5年日本から参加しておりますが、参加の皆様には大変喜んでいいただいております。詳しくはこちらをご覧ください。

http://www.ctcjapan.co.jp/2007%202gatsu%20mesiah.html



4)来年も日本の合唱団とジョイントコンサートをして交流する希望がヨーロッパ各地の合唱団から届いております。

主なところは、フィンランド・ヘルシンキ、ポーランド・ベイヘロボ、ドイツ・ハンブルク、チェコ・パルデュビツ、スロバキア・トルナバ(スロバキアのローマ)、
イタリア・フィレンツェ、ボローニャに近いモデナ、サルディーニャ州カリアリ、シチリア州カターニャ、スペイン・レオンでそれぞれ活躍の合唱団です。

ヨーロッパ以外ではオーストラリア・ブリスベーン、ジーロンやニュージーランド・首都ウエリントンの合唱団も交流の機会を望んでいます。


5)今年同様、来年年末にもドイツ各地で開催の第九、ヘンデル・メサイア、モツレクへ日本から参加の企画を実施いたします。

資料を希望される皆様へは現地から情報が入り次第ご案内いたしますので、その場合は連絡先をお知らせください。


それでは来年もよろしくお願いいたします。

皆様にとって来年がよい年になりますようお祈りいたしております。
 

東京商工会議所の地震対策

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月25日(月)10時52分4秒
  東京商工会議所は2007年度に
地震などの緊急災害時の会員支援事業を立ち上げる。

①自助支援

企業防災マニュアル作成

安否確認システム構築

耐震対策サポート事業者紹介

②共助支援:災害時に地元地域へ貢献するために

災害支援ネットワーク構築

モデル事業立上

各支部内に災害対策検討会議設置
 

野依座長「塾は禁止に」と主張

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月24日(日)17時21分33秒
  野依座長「塾は禁止に」と主張

=報告案には盛られず-教育再生会議

12月24日 時事通信

「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子どもは塾禁止にすべきだ」

政府の教育再生会議分科会で、
座長を務める野依良治・理化学研究所理事長が
「塾の禁止」を唱えていたことが、
同会議ホームページに掲載された議事録で24日明らかになった。

ただ、委員の間では賛否が分かれ、
21日に公表された中間報告原案には盛り込まれなかった。
 

国産初ジェット旅客機開発談・・・その後

 投稿者:GIです  投稿日:2006年12月20日(水)21時11分26秒
  我が国初の国産ジェット旅客機「MJ」開発について
1.運行エリア・距離はリージョナルジェット(地域間ジェット)、例えば東京・大阪~
  香港・上海を想定している。
2.乗客規模は72人と92人の2型式を予定。
3.主要コンセプトとして、低騒音・低燃費、これを実現させるために主翼と胴体の素材は
  炭素繊維複合材を使用、SUBコンセプトとして維持管理費軽減、居住性向上に繋がる。
  騒音規制している都市部並びに都市近郊への乗り入れ許容限度をクリアーする事により
  世界的な新規需要喚起に繋がることが期待されている。
4.メーカーでは、2007年3月に機体の基本仕様決定、2008年3月事業化最終判断
  を予定している。採算MINラインは350機、1000機でベストセラーを意気込む。5.尚、メーカーによると運行開始予定は2012年と言う。2009年の羽田空港再拡張
  工事には間に合わないが、国内航空機メーカーとの歩み寄り、低騒音・低燃費の実現で
  需要拡大を実現したいものである。頑張ろう日本!頑張れ日本!目覚めよう日本!
 

首都圏FEMA構想

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月12日(火)10時15分2秒
  首都圏FEMA(フィーマ)構想について

アメリカのFederal Emergency Management Agencyをお手本にするわけですが。

要するに「必ず起こる」第2次関東大震災に対応するためのものですよ。

人口3000万人に対して
警察8万人・消防1.5万人・自衛隊2万人ですね。

今年の訓練には、韓国からも米国からも参加しました。

東京出張はイヤです。飛んで帰ります。
東京の方々、気をつけてくださいね。
(私の兄や弟もおりますが・・・・)

どなたか、首都圏FEMA構想の解説をしてあげてください。
すこしは安心の元になると思いますので。
 

ふるさと考古館

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月 9日(土)11時05分24秒
  2006.11.24素案発表(防府市教育委員会)

旧図書館を「(仮称)ふるさと考古館」として活用したい。

今年度

周防国府発掘調査事務所(のプレハブ倉庫!)に保管中の遺物を搬入

19年度

展示コーナー設置と分散保管中の遺物搬入  ・・・ほか

1・2・3階をそれぞれ利用。

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今後、素案をもとに市議会・庁内で議論することになります。
 

真珠湾への道 日米開戦65年・・・(素人の感想NO.2)

 投稿者:GIです  投稿日:2006年12月 8日(金)22時33分5秒
  四氏、骨太の正論、久しぶりに接し読み応えがありました。

1.岡崎久彦さんは、流石元外務官僚一筋を歩んで来られただけあって、広い知見をお持ちに敬服しました。但し、「もし、たら、れば」のスタンスは依然として変わらない。そこに小生何時もながらの物足り無さが残りました。又、折角歴史学者「ランケ」を持ち出されるのであれば、単なる歴史の事実の羅列に終わるのではなく、事実からその裏にある背景、事実を招来させた根幹たる真因を追求し、「歴史の奥底に横たわる“真実”」を披瀝して戴きたかったです。

2.以上勝手な私見から、佐瀬昌盛さんの追究スタンスの方が、学者としての歴史に接する体温・嗅覚を感じます。先の大戦について・・・「僕たちの、私たちの戦争だった」の姿勢は歴史に対する体験者としての率直・謙虚さが感じられる。佐瀬昌盛さんの確か最初の翻訳書であった、「アデナウアー回顧録」翻訳あとがきに、「ともあれ、ことに第一巻執筆当時のアデナウアーは、政党政治の場に仁王立ちしていたのであるから、事件を叙述するアデナウアーの筆が客観性に終始している、なぞとはとてもいえない。現代史研究家の見る事実との食い違いがかなりあることは、ある意味では当然なのである。」とあるのを見るにつけても、正に同様のスタンスが感じられるのである。「歴史に対して謙虚に対峙している人」というのは、佐瀬昌盛さんのような人を言うのかもしれない。
 

佐瀬昌盛 さんの論説

 投稿者:Mです  投稿日:2006年12月 8日(金)08時54分59秒
  真珠湾への道 日米開戦65年
防衛大学校名誉教授・ 拓殖大学海外事情研究所客員教授 佐瀬昌盛

  ■三国同盟の熱狂と罪

 ≪ナチスの強力な磁場≫

 日本軍の真珠湾攻撃の5年と少し前、昭和11年11月、ある東大法学部学生が外交官試験合格者面接を受けた。1週間ほど前には日独防共協定が調印されていたので、「日独防共協定をどう思うか」と質問された。独裁を嫌悪し、ヒトラーも嫌いだったこの学生は「これで日本は潰(つぶ)れます」と答え、すぐに「しまった」と思った。落とされるのではないか、と直感したからだ。杞憂(きゆう)だった。

 この学生は外国語試験にドイツ語を選び、外務省入省後はソ連を任国として希望、1年後にモスクワ勤務となった。かなり変わっている。のちに左翼から反共、反ソと罵(ののし)られ、「正論」執筆陣にも加わった故・曽野明氏の若き日の姿だ。同氏の回顧を待つまでもなく、当時の外務省には日独防共協定に批判的な空気が強かった。だから曽野氏は合格したのだろう。

 防共協定の3年10カ月後、日独伊三国同盟条約が結ばれた。前者はソ連という国家とは別個の「コミンテルン」つまり共産主義インターナショナルに対する防衛条約。後者はどの国が対象かで三国間の一致はなかったものの、仮想敵国に対する同盟条約だった。だから両者の性格は理屈上は違った。ただ前者なしでは後者は生まれなかったであろう。この時期、日本はナチス・ドイツという前代未聞の磁場にはまってしまった。

 もっとも、防共協定から三国同盟への道程は一直線ではなかった。防共を約したはずのヒトラーが2年9カ月後、コミンテルンを操ったスターリンとの間で突如、独ソ不可侵条約を締結したからだ。有りていには日本に対するドイツの違約である。平沼騏一郎内閣は「欧州情勢複雑怪奇」の言葉を残し、倒れた。だのに、日本はナチス・ドイツの磁場外へ出なかった。いや出られなかった。外交路線をめぐり五相会議があきれるほど混迷の議論を続け、揚げ句の果て、強気一本槍の松岡洋右外相が15年9月27日、三国同盟条約に調印したのである。

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 ≪道を誤った責任≫

 戦前の日本外交はどこで道を誤ったか。今日に至るも議論百出である。満州事変にも一枚嚼み、国際連盟脱退も主導した松岡がそのキーパーソンであるのは疑いないが、その松岡は真珠湾攻撃の報に接して「三国同盟は僕の一生の不覚だった」と懺悔(ざんげ)の涙を流したと伝えられる。その三国同盟への曲がりくねった道を開いたのは、繰り返すが日独防共協定だった。

 その日本側推進者は当時の駐独陸軍武官・大島浩だった。軍人あがりながら日米開戦時には2度目の駐独大使を務めたこともあり、防共協定は大島の横暴の産物との説もあったが、これは必ずしも正しくない。大島はむしろ実直人間、ただ、信じがたいドイツ好きで、陸軍の意向で動くうちに、ドイツ外務省ならざるナチス外交のリッベントロープ機関の蜘蛛(くも)の巣にかかってしまったのだ。

 ならば、道を誤らせたのは帝国陸軍か。陸軍の責任は重い。同時に外務省のひ弱さ、政治の連帯無責任も大いに問題ではあった。強面(こわもて)の陸軍に逆らえなかった報道機関も重罪である。では、一般国民はそのツケを払わされただけの存在だったのか。「そうだ」と言えるのなら、むしろ気は楽だ。私見では、とてもそうはいえない。

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 ≪新聞、白秋も共鳴≫

 防共協定から2年足らずの13年8月、ヒトラー・ユーゲントの30人が訪日、3カ月の滞在で「大日本少年団」などと交流した。日本側は熱烈歓迎した。同じころ、日米学生会議も日本で開かれ、それも報道されたが、熱意には雲泥の差があった。



 張り切ったのは『朝日新聞』で、紙面以外でも、一行到着直後の『アサヒグラフ』は「盟邦の青春部隊ヒットラー・ユーゲント-上陸第一日」を特集、「ハイル・ヒトラー」を叫ぶ団員をたっぷり紹介。日比谷公会堂で「ヒトラー・ユーゲント歓迎講演会」も主催した(文部省後援)。陸軍は喜んだ。だが、『朝日』も楽しんだ。



 北原白秋と聞けば、人は「からたちの花」を思い出すだろう。白秋は「大日本聯合青年團」の委嘱で『萬歳ヒットラー・ユーゲント』を作詞した。全体で4番まであるその2番はこうだ。「聴けわが歡呼を/ハーケン・クロイツ/響けよその旗、この風、この夏/防共ひとたび君我誓はば/正大為(な)すあり世紀の進展/萬歳、ヒットラー・ユーゲント/萬歳、ナチス」。初演歌手は藤原義江。

 当時の白秋はすでに日本国家主義に傾斜していた。その立場から白秋は政治色濃厚な両国青少年組織の交流に心底から共鳴、「快然」として右の作詞を残したのである。陸軍は喜んだだろう。だが、それは白秋の意に介するところではなかった。

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 ≪国民完全無罪論≫

 一行の滞日中、銀座・数寄屋橋にあった「日劇」ホールに日劇ダンシング・チームの『ハイル・ヒットラア』がかかった。当時の「日劇」は秦豊吉の下にあった。秦はかつてレマルクの『西部戦線異状なし』を訳し大いに当てた。が、レマルクの方はナチスのゲッベルス宣伝相による焚書(ふんしょ)の憂き目に遭った。秦に寸毫(すんごう)の日和見もなかったとはいわないが、それよりも、彼は滅茶苦茶にドイツが好きで、かつ人々の喜ぶナチス流大衆芸能にも熱中したのだ。ノーベル文学賞のトーマス・マンの国外亡命なぞ、眼中になかった。

 『朝日』の主筆を務めた緒方竹虎は後年、三国同盟締結時に「日本の新聞の幹部の大多数はこれに反対であったろうと思う」と書き、軍部を恐れて一紙たりとも「筆で反対を唱えなかったのは、いかなる悲惨事であったか」と襟(えり)を正した。その反省は必要だし、新聞が国民の意識を歪(ゆが)めたことも確かだ。が、それが全部ではない。国民はただ受難者だったわけではなく、かなりの程度、時代思潮の共鳴盤の役割も演じた。

 私は日米開戦時は「国民学校」1年生、敗戦時は5年生の「少国民」だった。それが嬉(うれ)しかった。後年、ベルリン留学時にドイツ人学友から「集団責罪否定論」を聴かされた。罪があるのはナチス指導者たちで、国民は基本的には受難者だというその論理には、なじめなかった。いまだにそうだ。地位により責任の軽重には差があろう。だが、一般国民完全無罪論は私見ではおかしい。国民のナチス熱狂は不問でよいのか。

 数年前、「先の大戦」についての寄稿を、私は「僕たちの、私たちの戦争だった」と題した。今も変わりない。戦争に共感した「少国民」の苦い記憶を消せないものだから。(させ まさもり)

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【用語解説】日独防共協定

 昭和11年11月、世界の共産主義政党の統一体であるコミンテルンとソ連に対抗するため、情報交換や対抗措置を定めた協定。日本には国際連盟脱退後の国際的孤立を防ぐ意味もあった。のちイタリアなどが加わり枢軸国が結集、日独伊三国同盟につながった。

(2006/12/03 )
 

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